【桐生人をたずねて】自由に機を織れる場所。桐生織塾の継承

この記事は、ココロ日和2018年春号に掲載されたものです。

桐生人をたずねて 第5回

今回は桐生織塾長でいらっしゃる新井求美さんにお話を伺いました。昨年突然の閉塾を経て、年明けに桐生市本町通りにあるさくらや3階にて新たに開塾を果たました。個人では一店一作家プロジェクトメンバーに加わり、織物やアクセサリーの作家としてご活躍をされています。

──織物に携わったきっかけはなんでしょうか?

大学ではグラフィックデザインを専攻し、配色やスペーシング、工程を学びました。

卒業して桐生に帰ってきてから、前桐生織塾長の武藤和夫さんと父(新井淳一さん)が中心になり集めていた様々な国の民族衣装を分類・整理する仕事をしていました。この仕事は大変でしたがとても面白く、綺麗で刺激的でした。

仕事で目にする衣装から、素材や柄、パターンなどデザインについて考えるようになりました。衣装の色・デザインの目的が、所属部族・階級・既婚などを識別するためであったり、地域特有の原料を使っていたりと、デザインの持つ意味を研究することが面白く、「じゃあ自分は何を着ているの?」というところに辿り着き、手織を一から勉強しました。大学で学んだことがこの時に活かされたと思います。

 

──塾長に就任した経緯を教えて頂けますか?

私は織塾の塾生として一から織物を学んでいました。 武藤さんの体調が悪くなり一度織塾を閉める話が出た時に、周りの声もあって私が塾長に就任しました。集めていた資料を守りたい想いもあり、「私で良ければ」という気持ちでした。

当時は自信も実力もなく大変でしたが、ファッションタウンの皆さんを中心に多くの方に助けて頂きました。年に1回実施していた成果発表はコレクションを見てもらう場になればと思い、春と秋の年2回、街中でイベントが多い時期に合わせて実施することにしました。成果発表と一緒に演奏会や朗読会などのイベントも行い、毎回200人以上の方に来て頂きます。

元織塾の場所は、自然に囲まれ四季を感じられる素敵な所でしたので、離れるときは辛かったです。続けたかった。

 

──突然の閉塾、驚かれる方も多かったかと思います。どんなお気持ちでしたか?

織る場所もそうですが、武藤さんと父で集めたコレクションは、私にとっては宝物です。
2人は民族衣装が持ついろんなエッセンスから「デザイン」や「ものづくり」の原点を探ろうと集め始めましたが、民族衣装は特に金銭的価値がなく、資料としての価値を伝えていかないとゴミになってしまいます。「二人が集めたものだから私が守らないと」と思いました。

閉塾している間は、「織りたい」という気持ちがとても強かったです。私以外にも、「織りたい」「ないと困る」と言ってくれる方々がたくさんいました。素敵な方々に本当に恵まれたと思います。

 

──新たに開塾した、今のお気持ちを教えて下さい。

桐生は日本の機(はた)どころ。歴史長く伝統ある技術をたくさん持っています。今でも自由に機を織れる場所を守って行きたいです。織塾の存在や活動が産地に直接結びつくかは解りませんが、お子さんから大人まで、「工夫して、作る」を体験して頂き織物の魅力を知ってもらいたいです。


多くの歴史と触れ合ってきた求美さんだからこそ、伝統を守っていけるのだと確信しました。生徒さんから「求美さんは先生なのに同じ目線で教えてくれる」と教えて頂きました。深い優しさを持つ求美さんの周りに、素敵な方々が集まる理由がわかりました。

桐生織塾は、木〜土曜日、第1・3日曜日の10時〜16時に開塾しています。
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