桐生は日本の機どころ、機織りの町桐生のひなまつり

3月3日は桃の節句「ひな祭り」
女の子の健やかな成長や幸せを祈って、お祝いをする日。
雛人形は、子どもたちの代わりに病気や事故から守ってくれるとされていて、女の子が元気で幸せになるようにお祝いの気持ちを込めて飾ります。
昔は紙で雛人形を作って、病気やけがなどの良くないものを持っていってもらうように、川に流す「流し雛」をしていたそうです。
小さなお人形を作って吊るして飾る「つるし雛」でお祝いするところもあるそう。

ここ桐生市では「ひな祭りは4月3日に祝う」という事を聞きました。
なぜ旧暦の4月3日で祝うのでしょうか?

上毛かるたの「き」にもあるように、「桐生は日本のはたどころ」が関係しているようです。

機織りが盛んだった桐生市で、雛人形の衣装に使われる帯や生地を織っていたという利用者さんに当時のお話を聞かせていただきました。

「私たちが子供の頃にはもう4月3日がひな祭りでしたよ。
今みたいに情報も入ってこないので、若いころは全国的に3月3日がひな祭りだと知らなかった。」と話します。
雛人形は3月3日から4月3日まで1か月近く飾っていたそうです。

一説によると、桐生市の3月3日はひな人形の生産のピークで、機織り産業が忙しくお祝い出来なかったからと言われています。(諸説あり)

雛人形の衣装生地を、「雛生地」と言って絹糸(きぬいと)、錦糸(きんし)を7種類くらい使って織っていました。
錦糸は使用するとキラキラして綺麗なんだとか。
「シャトルを使って緯糸(よこいと)を通し、経糸(たていと)は細い絹糸を使っていました。紋紙を使って柄を入れるんだけど、経糸は切れやすいから何度も確認しながら行いましたね。」

木製の物がシャトル。

現在は機械で織るのが主流ですが、利用者さんが織っていた時は手織り。
「シャトルが当たる音がすごく大きいんだよ。今の機械はスーッといい音がなるだけ。」とのこと。
当時は4~5人で並んで作業していたそうなので、音が響いてすごかったそうです。

「大きく織って裁断して衣装を作るのが一連の流れ。
調子の良いときは一反(30m)を3日くらい、1日で10mくらい織っていた。
用事があったりすると長い時間勤めていられないから、全然進まなかったりね。
織って、納品してまでが私たちの仕事。自分たちの織った生地がどんな風に衣装になったか見たことはなかったです。」と当時を振り返ります。
女性物の生地は朱色などの明るい色を使い、紋紙で花柄など華やかな柄、男性物の生地は麒麟や竜など力強い柄が織られていたそうです。
機織りの手の動かし方は今でも出来ますよと、懐かしそうに見せてくださいました。
私も以前、機織り体験で数分やったことがありますが、
かなり根気と集中力が必要なお仕事だな、と感じました。

利用者さんが見せてくださった雛生地

また、ひな祭りの思い出も伺ってみました。
「昔は7段、5段、3段の大きな雛飾りが多かったかな。
今はお内裏様、お雛様のみの小さめのものをよく見かけるよね。
それに、子供の頃は大東亜戦争(太平洋戦争)後だったので、
ひな人形を飾る家はとても少なくて、近所に飾っている家があれば見に行ったりしたね」
ご近所さんとも、現在よりも行き来が多く、仲が良かったのでしょう。

雛人形を段飾りにして、美しく飾って祝うようになったのは江戸時代の頃から。
当時は武家や貴族だけで、この慣習が一般家庭に定着したのは明治以後の事です。
今年は「ひな祭り」の由来や思い出を話しながら家族でお祝いしてみませんか?

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