【桐生人をたずねて】歴史と技術に頼らず「今」と向き合う

この記事は、ココロ日和2019年春号に掲載されたものです。

桐生人をたずねて 第9回

 華やかで軽やかな刺繍糸でアクセサリーを作る桐生のブランド、株式会社笠盛のトリプル・オゥ(000)。日本全国の大型店舗や、フランス、イギリス、ドイツでも取り扱われるアクセサリーのデザイナー、片倉洋一さんにお話を伺いました。
 
 
片倉さんは桐生のご出身でないと伺いました。
 
片倉 神奈川県秦野市の出身です。大学では工学部に所属していました。その後、ロンドンでテキスタイルを学び、パリで仕事をしていました。ロンドンにいた頃、ヴィクトリア&アルバートミュージアムで、パーマネントコレクションに収蔵されている新井淳一さんの作品を目にし、とても衝撃を受けました。帰国したらお会いしたいと思い、帰国後、桐生に来ました。その後、大きな美術展の際にはお手伝いをさせてもらい、新井さんのものづくりに触れることができました。
 新しいテクノロジーと、伝統的な手仕事を融合させて作る新井さん作品に、とても惹かれました。考え方の根底や作るプロセス、作品の一つ一つが違っても、掘り下げていくと全て「テクノロジーとアナログの融合」に繋がっていく。新井さんとの時間はとても貴重であったし、桐生のものづくりについても教えてもらい、影響をたくさん受けました。
 
 
ものづくりで目指すもの、大切にしているものはありますか?
 
片倉 定番だけど普通と違う、ベーシックでありながらも時代を超越するような、長く使えるものを目指しました。
「Less is more」(より少ないことはより豊かなこと)、つまり無駄が削ぎ落とされた究極なシンプルなものにチャレンジしたいと思いました。引き算のデザインは限られた中で自分を表現しなければならず、ものを作る上で怖い部分がありますが、そこが僕のデザイナーとしてのチャレンジです。
 ハイテクな機械でできる作業は多いですが、糸は繊細で、コンディションを臨機応変に調節していくことは人の手でなければできません。まさに「テクノロジーとアナログの融合」でできるものです。
 

 
 
000が誕生した経緯を教えて下さい。
 
片倉 入社後、三ヶ月基礎を学んだものの、上司からの指示は一切なく、好きなものづくりに自由にチャレンジをさせて頂きました。自分で仕事を生み出すプレッシャーや不安もありましたが、それ以上にどうしたら刺繍の未来を開けるのだろうと考える日々。「世界に出していくもの」「会社が成長できるもの」「自分も楽しめること」を模索していき、2010年にトリプル・オゥのブランドができました。
 パールのネックレスは、TPOに関係なく幅広い場面で使いますよね。ここからヒントを得て、スフィア(球体)やオーバル(楕円)などの形に行き着きました。また、これをシルクで作ることは、「群馬」と「会社の思い」を繋げられると思いました。
 最初は僕一人のスタートでしたが、今は十人くらいのスタッフが携わています。自分が苦手なことはチームに任せ、みんなの考えも話し合うようになりました。ものづくりは、「職人」から「バイヤー」までの範囲を指すと思っています。作ることも、伝えることも大切です。
 デザイナーとして、形を作る以上に、新しいビジネスモデルや、物流の仕組みなどを作ることもデザインだと思っています。繊維業界はもちろん、地域や社会に対してできることを、もっと形にしていけたらと思います。
 

 
 
伝統ある会社での新しいチャレンジでしたね。
 
片倉 株式会社笠盛は、142年目に突入する歴史ある会社です。織物業から刺繍業へ転身し、2005年〜2007年頃は、ファッションブランドの刺繍を手がけながらオリジナル刺繍技術の開発にも取り組んできました。同時に、刺繍の新しい可能性を模索してきました。
 ブランド名には、既成概念をリセットし新しいことにチャレンジするという意味がありますが、「今までの140年をリセットする」という、原点回帰し初心を忘れないための自分たちへの戒めの意味もあります。
 笠盛は技術があるからこそ新しいことにチャレンジできる環境です。今後はアクセサリーでない何かにもチャレンジしていきたいです。
 

月に一度オープンする000の桐生のお店は、とても柔らかく優しい雰囲気で、デザイナーの使命感と向き合いながらも朗らかな片倉さんの雰囲気と、少し似ている気がしました。歴史と技術に頼り切らず「今」と向き合う笠盛の取り組みは、とても格好いいと思いました。

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