【桐生人をたずねて】写真家・齋藤利江さん

この記事は、ココロ日和2017年冬号に掲載されたものです。

今回からスタートする新しいコーナー「桐生人をたずねて」。このコーナーではこやまが地域で活躍する様々な方にお会いし、お話を伺っていきます。

第1回目は桐生の写真家、齋藤利江さん。お嬢様二人を育て上げ、写真家活動を通し桐生市に貢献している姿に魅力を感じ、お話を伺いました。ココロ日和の表紙等も撮影してくださっています。

齋藤利江さん
・「三丁目の夕日」にコラムを連載
・ニュージーランド、米ジョージア州等
 世界各地で写真を出展 受賞多数

世界でご活躍されていますが、桐生市で活動する理由はありますか?

お世話になったまちだから。写真を通して恩返しをしたい─

私は桐生生まれの桐生育ち。他に何もできないけど写真で恩を返したいと思っています。

昔は道を歩けば機織の音が賑やかで、人が活気にあふれていました。歴史がある街だからこれからも何か大きな可能性を秘めていると思うし、笑顔の溢れる活気あるまちに絶対なると信じています。町おこしの為に何かしたいと思い、ココロ日和の写真撮影もお受けしました。

 

10代から今まで写真を続けてこられた理由はなんですか?

写真を撮っている時間がいちばん幸せ。周りの人に支えられて続けることができました。

父がカメラ好きで、小さい頃からカメラに触れていました。中学生の時に写真のコンテストで入選した時はとても嬉しかった。絶対写真家になると決めていました。

でも父が倒れて、家計を助けるために写真屋を開業。始めた時は好きな写真が続けられると思いましたが、お店の経営者として、お客様が上手に撮れることを一番に考えました。

60歳の時に、若い頃撮影したネガ*が見つかり、それを機にお店を辞め写真家一筋に生きることを決めました。

若い頃のネガ
家業に専念するようにと、父に全て捨てられたと思っていたたくさんのネガフィルム。実際は、大切に保管してくれていたのだそうです。
 

苦しかった時に支えになったものはありますか?

ささやかな時間に、娘や家族の写真を撮ること。

娘が生まれ、娘の顔を見るたびに、何があっても頑張らないと!と。

大変なことがあっても、今を乗り越えればなんとかなると思い耐えてきました。娘を撮る時間が私の支えであり、子供の成長記録を作品として残したくて、たくさん撮りました。戦争の時代に比べると、平和な生活が本当に幸せだから努力ができたのだと思います。

 

仕事と子育ての両立、どんな気持ちでしていましたか?

昔は家族が多かったからみんなで子育てをするのが当たり前だった─

今と違って道の上で安心して子供達が遊んでいたし、ご近所も巻き込んで地域で子育てをしていたので、仕事と子育てを分けて考えたことはなかったです。不便な時代だから辛いこともたくさんあったけど、「好きなこと」があることが大事。どんな仕事でも頑張れるし、それが両立の秘訣かもしれないです。

 


▲長女・弓子さんを撮影した写真(昭和38年 主婦の友社主催全国赤ちゃんコンクール最高賞受賞)


─齋藤さんも仕事、子育ての両立を経て、今があるのですね。日々の生活に感謝しながら、自分の〝好き〟を大切にしている姿がとても輝いて見えました。

(こやま)

Top